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2024-01-15 14:26:00

研修で学んだことと、抽象化の大切さ

昨日は、リトミック研究センター茨城第一支局にて、研修を受けて来ました。

主な内容は、モンテッソーリ教育の視点から学ぶ『言語』についてです。

ご指導して下さった先生は、こどもの家POMMEのスタッフをされている坂東薫子先生でした。

教具の実物を用いての実践は、とても興味深い点がたくさんありました。

ここからは、そのような時間の中で私が学んだことを、シェアしていきたいと思います。

 

1. 間違い訂正は、子どもを傷けないように

※『言語』のテーマ内での、学びと気付き

子どもとの関わりのなかで、大人が子どもの間違いに気付いた時。

皆様は子どもたちに対し、どのような反応を返されることが多いでしょうか?

これは私の持論ですが、

ついつい間違いを指摘してしまう言葉が口をついて出てしまうというようなことは、

きっと誰もがご経験のあることだと、私は思っています。(もちろん私も含みます)

 

坂東先生はそんな時、あえて「ちがうよ!」と間違いを指摘せず、さらりと正しい言葉で言い直すという対応をされているようでした。

たとえば、子どもが『とうもろこし』を 「とうもころし」と言った時。

  1. 違うよ、とうもろこしだよ!」と、あえて間違い指摘をせずに
  2. 「とうもろこしだねー」と、正しい言葉で返す、

という感じに。

とてもシンプルだなぁと、私は素直に感じました。

 

大人だって間違いを指摘されたら、良い気持ちになる人は少ないですよね。

お恥ずかしいお話ですが、

私なんて「間違いを指摘されてありがたい」と思えるようになったのは、本当に最近になってからのことです。

それに未だに、そうプラスに転換するには、それなりの時間も必要です。

 

そう考えてみると、わずか3歳くらいの子ども達に

「それは違うよ!」とあえて指摘し続けることが、

子どもの自尊心にどれほどの影響を与えるのか?は想像に難しくありません。

 

2.おしごとの目的を、大人側が明確にしておく

おしごととは、モンテッソーリで使われている用語であり、子どもたちにとっては課題(あそび)のようなもの

モンテッソーリでは基本的に、自分が取り組む課題を選ぶのは『子ども自身』だそうです。

自分が興味のあることを選び自ら取り組むという、

なんとものすごく素晴らしいシステム!!

おしごとにも様々な課題があり(先生の精緻な手助けも含めた)段階わけもされているようです。

 

とは言え!

誰の手助けも借りずに最初からできるようになる子どもなんていないわけです。

この点については、どの立場からも共通して言えることが1つあると思っています。

それは、

おとなの手を出すタイミングが難しい!ということ。

と、なかなかどうして難しい大人の子どもに対する手助けですが・・・。

  • 大人の方がおしごとの目的を明らかにしておく
  • (よって)手助けするポイントも変わってくる

というようなことを先生がお話されていて、強く感銘を受けた私です。 

 

たとえば、絵カートひとつ取っても

  • 『いちご』という平仮名を子どもに読めるようになって欲しいのか
  • それとも『いちご』という平仮名をまずは子どもに知って欲しいのか

では、提示の仕方も手助けするポイントも、全く違ってきて当然です。

そもそも!

その子の発達段階に見合った教材(もしくは提示の仕方になっているかどうか?)ということまで、

大人は考える必要があるというわけです。

 

自身を振り返りながら、子どもの発達に寄り添う関わり方の難しさを痛感すると共に、

子どもの発達についての興味はますます増すばかり!

私なりの全力で、子どもたちに歩み寄った関わり方をこれからも追求していく所存です。

 

3.抽象化の大切さ

先生は昨日『抽象化』のお話をされていました。

そして今日、私がたまたま読んでいた本の中にも『抽象化』について詳しく書かれていて驚きました。

ここで『抽象化』という言葉について、書籍の引用を用いて確認致します。

たとえば、まったく異なる筆跡の単語を同じ文字だと認知できるのは、パターン認識だけでなく抽象化のおかげでもあります。いろいろな筆跡、いろいろな書体(フォント)の文字を理解できるのは、抽象化という高級な作業のおかげなのです。

出典『「わかりやすい表現」の技術 ~意図を正しく伝えるための16のルール』

著者:藤沢晃治

発行所:講談社

DSC_0011 - コピー (6).JPG

 

これを踏まえ、昨日の研修に置き換えてみます。

下の絵を見て答えて下さい。これは一体何でしょう?

ぞうさん|音譜.png

「ピーマン!」と答えることができた方は抽象化のおかげ、というわけです。

「こんな簡単なことを、バカバカしい」とか言っている場合ではないのです!!

 

本物でもないし、大きさも本物とは全然違うのに、

イラストやフィギュアのお野菜や果物を見ながら「ピーマン!いちご!」だのと答えることができる私達ですが、

それは(上記の引用をお借りすると)抽象化という高級な作業のおかげなのです。

 

まとめ

これはあちこちで聞かれることと思いますが、「できる人」が「できない人」にすっかり戻ることはできない、ということ。

私達が現在当たり前のようにやっていることも、過去には想像したら目がくらんでしまうほどの発達の過程を繰り返し、大人たちの手を借りながら、今があるわけです。

 

私はもう、抽象化できないことを想像することの方が難しいし、

(場合によっては抽象化が難しいこともあるかもしれないけれど)

ぞうさん|音譜.png

 

「わからなかった時に戻りたい」とどんだけ願ったとしても、当然ながらそれは不可能です。

故に私は、子どもたちに寄り添うということは、ほとんど不可能だと思っているのです。

これは私にとっては諦めではなく、戒めなのです。

 

しかしそんな私が信じていることは、子どもたちに歩み寄っていくことはきっとできる!ということ。

それができないのであれば、歩み寄ろうとする努力はできる。

(もはや意識の問題) 

 

子どもがわかった!」と腑に落ちる あの喜びの瞬間を掴み取るには、

大人の手助けするポイントはとてつもなく重要になってくると身が引き締まる思いです。 

 

大人の助けすぎは、子どもの経験を奪うことになります

大人の助けなさすぎも然り。 

 

すっごくむつかしいですね~!!!!

でもだからこそ、面白いんです。

どこの育児書にも書いていない、

目の前にいる子どもたちとの関わりを通し

育まれていく関係性の中で見られる子どもたちの成長は、

もう私にとってかけがえのない宝です。

 

というわけで今回の記事はここまでになります。

最後までお読み下さった方々、心よりありがとうございました。

明日は楽しみなレッスン日です♫